教祖 戸次貞雄[1897~1965]

略歴


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戸次貞雄
明治30年
3月11日熊本県鹿本郡山鹿町に生まれる。
大正7年
6月8日清成オワリと結婚する。
大正14年
3月若月チセ、久保角太郎と互いに知り合う。
7月下旬教菩薩法の一片を覚得する。
8月1日『仏の大慈大悲と運命』の著述を完成する。
大正15年
7月31日妻オワリに「みちのくの 美ちびき役の 志のぶ身の 道の助とこそ ゆうなれ」との神示が降る。
昭和2年
上記の神示により、福島へ。福島市渡利の八幡院に居留しながら布教する。後、梅津文彌宅を住所とする。福島での最初の法座を旅館「梅屋」で開く。
昭和3年
8月18日『仏の大慈大悲と運命』[昭和の法華経第一編]を奉勅教霊友会の名義で発行する。
9月18日『昭和の法華経と常不軽菩薩』[昭和の法華経第二編]を奉勅教霊友会の名義で発行する。
秋『昭和の法華経とキリスト教』[昭和の法華経第三編]の著述完成。
昭和4年
7月18日『仏は滅し給わず』 [昭和の法華経第四編]を妙皇国建設運動の一環として、奉勅教霊友会の名義で発行する。
12月18日『三宝経』の著述をガリ版刷りで発行する。
12月18日明法会を設立する。
昭和5年
1月18日『妙皇道報』を普明堂名義で発行。
3月3日『皇礼典法華妙皇道実証経』を発行する[福島市早稲町にて]。
6月九州阿蘇に修行に入る。
昭和7年
福島市の陣場町の長屋に転居する。
7月7日幕川金神滝を開く。
昭和8年
福島市の早稲町に道場を移す。
昭和13年
3月16日阿蘇清水滝にて修行に入る[昭和22年4月3日まで]。
昭和20年
4月明法会を大日本敬神崇祖自修団と改名する。
8月8日妻オワリ、山鹿にて逝去する。
昭和24年
11月3日『全思想の源泉 世界宗教根本論』を発行する。
11月23日鹿島俊郎が教えに加わる。
昭和26年
3月3日浅草瓢箪池で亡者姿で街頭説法を行う。
昭和37年
1月31日普明会に富士の麓の鎮魂帰神の大本山「普明堂正聖閣」建立を依頼する。
4月3日『群生霊喜納帰元祭経』を発行し、ほぼ教えが完成する。
昭和39年
11月8日「獅子法座普明会に備えよ」などの記別を残し、血脈を普明会に与え、後事を託す。
昭和40年
7月8日熊本県高森町にて逝去する。