教祖 戸次貞雄[1897~1965]

-前世の業と先祖供養-

戸次貞雄講演S33-04

【昭和33年4月 福井にて講演の様子】


下記の戸次貞雄の法話をお聞きください。

【 昭和33年4月21日 福井にて ご恩師のご説法 】

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今こそ、この法の恵みを、また得なかったならば、真実の喜びは絶対あるべきではない。ただ物質だけがいかにそろおうとも、魂に安心というものがなかったなら、本当の生活の喜びはあるものではない、とこう考えてみずから黙って修学をし始めたわけなのであります。そうして会得したものを、霊友会となり、あるいは今日皆様にそれ以上のものをお授けして、よりよき幸いと喜びを得てもらいたいと考えて、今日に及びました。

ところが、足りないものがあった。そいつをまた見いだした。それがために、こんなに頭のはげるまでも、滝に打たれたり、その寒い山の中におって、何とかしてこれを、と思いましたけれど、これはもうお釈迦様の教えの中にもなければ、もちろんキリストの教えの中にもない。まず人類始まって、ないところの法をここに生まなければ、本当の皆さんの安心はできない、ということを知って無理をして天地にお願いを掛けて、やっとこの修学を終えて下山をして、やや安心した、というところです。


戸次貞雄S33-03

【 昭和33年3月 吹雪に明け暮れる零下13度の吾妻山幕川堂にて、修学される戸次貞雄】

戸次貞雄S33

【 昭和33年4月 戸次貞雄 下山の様子 】


これはまぁ、浦島太郎が竜宮から玉手箱をもらってきたのと同じことです。やっと私の思う玉手箱をもらった。とたんに、鏡を見てみたらはげになった。浦島太郎も、とたんに玉手箱を喜んで開いたら、白髪の老人になったというけれども、実にそのとおり。ところが浦島太郎のほうは大変によかったのだ。竜宮に行ってお姫様にかわいがられたから。

こっちは、かわいがられるどころか、炭焼きも及ばぬような真っ黒けになりながら、しかも時にその山中において、今から約八年も前には、百八の煩悩、悪い煩悩を取っていただいて、いい煩悩に変えてもらいたいと思ったから、一日に百八回、それにお礼参りとして二回、水を取ったことがある。

私と共に入っていた若い者も、
「何を司様、やっていますか」
と言うから、
「いや、何でもだ俺はやっているのだ」
「どんなことですか」
と言うから、
「言うだけ言っておこう、お前たちにできる道理はないから。とにかく俺は百八回。百八の煩悩によるがゆえに世を乱すのだから。また、煩悩あるがゆえに喜びもあるのだ。喜びうる煩悩に変えさせてもらいたいと思って、俺はその悪いほうの煩悩を取るために、百八回、こうやって通って、そうして水をかぶっているのだ」
そうして、あとを二回お礼をいたしました。

若い者もまねをしましたが、五十回か六十回で、もうフラフラになって若い者がやめてしまったのだ。ただ百八遍かぶるのではありませんよ。百八回、その谷川に通うのだ。百十回通ったのだから。

そうして、なお到達しえなかった。それで、今日までも……。それが完成しなければ、在家宗教として、絶対に皆に喜びを与えることはできない。ということで、今までさんたんたる苦心をしたわけです。

ですから、ちょうど私が、まぁ生まれた子どもに命名をして、私の子どもではないよ、よその子ども、私の弟子の子どもだ。商売が忙しい時もあるから、私がおんぶしたこともあるが、これも今年は学習院大学を卒業して、昨年の十月には卒業しない前に就職も決まったのだ。十一月に帰った時は、試験休みで来ていて、駅に迎えに来ましたから、
「おかげさまで就職もできました」
「どんな所に入った」
と言ったら、三井系の 一流の会社に入ることができた。
「よかったな。お前の卒業、早くてよかった。俺は、赤ん坊の時おぶって、今、大学を出て、今度は一人前になったのだが。司様は、いつまでも落第ばかりして、神様の学校、いつまでも卒業できなくて困ったぞ」
と、アハハと笑ったけれども、実際、それはもう、一日も背することなく、ただ一筋にそのために、今日までやってきたわけであります。

ということは、何であるかというと、先祖の業障は、あなた方の孝行の心に免じて、その孝行の発する誠によって、先祖の罪汚れも許されて、ある程度の喜びを与える所まで連れて行かれる。これはまことに結構だ。ところがそれだけでは、ある程度の運命転換はできるが、いざという時に、まことにできない、転換することのできないものがある。それは皆さんが、前世から作ってきた罪の補いというものができる方法というのがこの世にない。

というのは、キリストも一人でおられる。それでも、お前たちを天国に、俺はあがないによって引っ張って行くぞ。しかしながら、それは、(ラクダが)針の穴を通るより難しいと言われるくらい、容易に皆さんを引っ張って行くという力にはならなかった。

お釈迦様もそのとおり、一人になってしまって。その弟子たちもそれこそ、三国一どころの美人ではない、財産もあれば、そうした美人を、なお捨てきって、お釈迦様のお弟子になった方も、幾多もある、出家して。おやじが出家したからしかたがないから、あとから奥さんも尼になったという履歴は、そのお釈迦様の一代記を見るというと、立派にあるのです。

迦葉(かしょう)は、三迦葉という、三人の兄弟があります。ほかにまた、別の迦葉尊者がおられる。この方なんかは、もう、国中で一番の富豪だった。そのくらいだから、ほとんど国中で一番というような美人を奥さんに持っておられた。生まれつきと言おうか、その奥さんを捨てて、そうして、ひそかに釈迦の下に入って出家をされた。

なぜ、そうしなくちゃならんかというと、前世からつながっている罪障を取るためには、そういうふうにして、人間の欲というものを捨てて、そうして世の中のためになりますから、ということによって、もう血族という縁を切って、そうして免れて、菩薩の世界に飛び込むように修行をするのであります。それにしても出家してから、その修行というものが容易ではない。

ところが、その前世の業が、たとえ先祖を拝んでいても、取れなければ、受けなければならぬことを、先祖は守るということができないのです。これは天地の法則で、ここに非常に苦しみがある。しかし、これを取らなければ、前世から定まっているところの、その人の運命を転換して、いいほうに向けることはできない。いい運命を持って生まれてきた人たちは、それで差し支えありませんよ。

少なくとも宗教の本義は、いかなる場所、いかなる地位にあろうとも、その地位の中に安心をしうる道をここに与えなかったならば、宗教の価値はない。

これは無理ではありますけれども、とても諸仏如来を念じたくらいで……。ここは阿弥陀様が大はやりだそうだけれども。これは脇道に入る。

どんなに阿弥陀様を念じても、前世の業まで引き取ってくださるということは、これはできない。ですから、しようがない。目には見えん、耳にも聞こえてはこないけれども、如来も神も、共に天地創造の親神から生まれたものであるから、これは創造の親神と、とにかく取っ組み合っておいて、けんかしてでも出す以外ないのだ、というわけでもって、そうなると強いよ。どうせ、何もこの地上に残ろうとは思わないのだから、皆を喜ばせようと思うためにやるのだから。自分の欲のためにお願いするのではないから、かしこみかしこみ敬って申すなどというときは、みんなのために頼むときに言うだけで、そのあとのことは、けんか腰だ。・・・

 


《 説法録 「真の在家宗教について」より 一部抜粋 》