『いただきます。』牛肉編     (紙芝居動画)

平成27年の第4回目(8月1日)のお滝修行で講演された、紙芝居を元に動画編集したものです。


 
この紙芝居の動画は将来を担う子供たちに食するという日々の生活を通じて、天地のお恵みを感じてもらい、万物万象、たくさんの生命や人々の支えによって生かされていることを考えていただければと思い、制作されたものです。教義的に説明するには不完全なものですが、少しでも日々の生活や信仰することに興味をもってもらえれば幸いです。
普明会ホームページ作成チーム
by Fumyou Web Team

 

 

お滝修行報告②  天の瀧水神について

天の瀧水神1

下記は、平成21年9月17日発行の普明会報に掲載されたものです。

昭和51年10月1日発行
普明会報 第123号
二代会長法話より抜粋

幕(幕川金神滝)のお滝修行は各自の先祖の業障懺悔だったのですが、ここ(万霊殿)のお滝はどうもそうではないらしいのです。先祖ではなく神様の修行なのでした。

皆さんと一緒にその土地の神々、氏神様が集まられて修行されるのだそうです。その後大祭でお祓いを受けられ、今度は出雲大社で御位をいただかれるという順序なのだそうです。そのはじまりがお滝修行なのだと教えられました。

お滝修行お滝修行と申しますが、そこにあるのはプールです。プールに張られたただけの水としか私たちには見えませんから、草刈りをしてプールに入って、盆踊りをして帰るだけだ、というふうに思うようになったのではないかと思います。

ところがこの水は、正真正銘の滝の水なのです。地下に滝があるのです。万霊殿を建てるに当たりまして、一番最初に井戸を掘りました。水が出るか出ないかが問題でした。昼夜、掘削機械が回り続けて、70メートルで水が出ました。岩盤を何層も堀り抜いて水を見た時には、本当にみんなで喜びました。ところが安心して一晩、機械を止めておいたら、掘削した土砂が固まって穴が塞がってしまったのです。それからが大変でした。結局とうとう機械を捨てて、新しく掘ることになりました。

これだけの工事のできる新しい機械は、おいそれと手に入るものではないそうで、ずいぶん苦労があったようですが、二ヶ月ほどして再び作業が始まりました。

少し離れた所を掘り始めましたが、70メートルでもだめ、100メートルでもだめ、120メートルでもだめ、そしていよいよ水脈に当たったところが200メートル下がったところでした。最初の所から少し離れた所なのに、70メートルから200メートルまで水みちがなかったのです。

しかし、その水量の豊富なことは、「どんな干ばつがあっても涸れません」と保証されました。また、まったく癖のない水で、富士山に降った雨水がこの水脈に入るには200年かかり、これは200年前の水だとも言われました。一つ一つびっくりする話で、土の中ってわからないのね、と言っておりました。

その掘削中に、円柱形の長さ2メートルほどの岩盤が、壊れないで出ました。岩盤に次ぐ岩盤なのですが、なかなか大きいままでは掘りきれないわけです。それでその石柱を水口(1号井戸)に立てることにしました。水神様のしるしを刻ませていただこうと思い神様のお名前を伺いましたところ、「天の瀧水神」と教えられました。その時の霊感では、天界にお滝が現れたそうです。

「天の瀧水神」と口にいたしまして、初めて気がついたわけです。少し離れた所に、70メートルから200メートルまでの落差があるわけです。そうすると滝なのです。地下の滝なのです。表には見えない、霊界の瀧でした。

その水がプールに入ってくるわけです。幕のお滝では、しぶきだけで精一杯の人も、このお滝には入れます。落差130メートルものあるお滝の水を、しかも、200年前の水をいただいていたわけです。万霊殿の滝修行として四年目を迎えまして、今回、天界の滝である神々の修行場であることを、わからせていただきました。

出版物発行のおしらせ

出版物おしらせ

 
 

宇宙真理と文化
 戸次貞雄は、昭和13年3月16日より昭和22年4月3日まで、阿蘇清水滝にて修行に入り、自然と人生、人生と宇宙意志を研修しました。(『本団の沿革及び教義の大要』より)そして、昭和25年2月24日東京において、戸次の初めての講演会が開催されました。記録によると、長講二時間にわたり、聴衆は千名に及んだとあります。昭和26年4月21日、この講演会の速記録が、日本敬神崇祖自修団より『宇宙心理と文化』として、発行されましたが昨年7月8日、当方において新たに編集し直し、注釈等を加えたものが当冊子です。

 その内容は、
「宗教は、喜びを与えるということが根本でなければならない」
「しかるに天津心(天の心)は、その(人間の)罪さえも何らとがめることなく、無言のうちに、この文化という、大きな恵みをくださっておるのです。天地を造られた親神は、広大無辺な大慈悲というか大愛というか、ことばで尽くせない慈しみを、われわれに与えてくださった。それがこの文化です」
「われわれは、真の宗教の根本たる喜び、罪ある者をとがめず、ただ一筋に恵みを与える天津心を、生活の中に実行してこそ、真の幸福がある」
とあります。そして、日本の国柄に及び、最後に、
「一日も早く苦しめる先祖をお救いくださるように、また文化人として天恩・衆恩に報いて、人間としての誇りある生活をなされるようお祈りして、この私の話を終わりたいと思います」
と締めくくられています。
 なお、この講演会を皮切りに、戸次は福島、長野、東京、山形、山梨、福井、宮城など二十近くの講演会を行っています。今後おって、後に完成される教えにいたるまでの講演会、ご法話を編集し出版する予定です。ご期待ください。
 
 
 

富士御出山記念大講演会
 この冊子は、戸次貞雄が昭和25年9月10日、『富士御出山記念大講演会』と題された福島市公会堂での講演会と、昭和26年5月20日に『文化と日本天皇道』と題された長野市蔵春閣公会堂での両講演会記録を、当方にて編集し、注釈を入れ平成27年4月17日に発行したものです。

 昭和25年9月10日、福島での講演会は『富士御出山記念』とされていますが、戸次はこの年の7月20日から8月10日まで、前年に続いて二回目の富士での修行に入っています。

 講演会は、「妙法蓮華経の主体というものは日本国にあるのであります」と始まり、「日本の国柄の中のどこに法華経があるか」ということが説かれています。その中で、「日本神道というものは、何であるか」を述べられ、苦しむ先祖を救うことが「文化の恵みを頂いた、われわれの務め」であるとされています。さらに「これがまた日本国民に与えられた、神の国の神の子としての、神の義を行うことであります」としています。

 昭和26年5月20日の講演会は、『文化と日本天皇道』と題されており、その内容は「今日の文化を通して、日本天皇道とはいかなるものであるか」ということの解釈となっています。

「科学を通して見る宇宙の文化は、これは喜ばしめんがため、(中略)この喜びというもの、それ自体が天地の中に動いている心である」また、「今日の文化は、石ころに至るまでも、われわれの生活を潤してくれていることがわかるし、それらの神々には、恵みを伝える神として礼儀を行ってきた。これこそ、宗教の根本でなければならない」と説かれ、その「礼儀」こそ「天の喜び合うという心に合体する道なのであります。何々宗では、ないのであります。天地を貫く道です」と述べてられています。

※ 終戦後、昭和26年9月にサンフランシスコ条約が結ばれ、翌年4月8日に発効されました。これらの講演が行われた時は、いまだ連合国の占領下でありました。また敗戦により、象徴天皇となり、神も仏もなきものという風潮のときでもあります。そのようなときに、この両講演会では、神国日本、日本の国柄、そして神武天皇より歴代天皇が行われてきた「御霊鎮(みたましず)め祭り」と、その尊厳が説かれています。

今後、ご恩師戸次貞雄講演会記録、昭和の法華経3部作などが順次出版される予定です。

詳細は各道場にて、お問い合わせください。
 
 
 
 

盛岡支所だより

平成26年11月10日、盛岡支所同信の原田和子さんに普明会唱歌のレコーディング(録音)をしていただきました。

原田さんは、岩手県無形民俗文化財指定の『大宮伝統さんさ踊り保存会』の会長を長年勤められ、踊りの歌い手等の活動をされておりましたが、平成26年8月に退任されました。しかし、今回のレコーディングのために、再度9月中旬頃からボイストレーニングをされ、約2か月間かけてご自身の歌声をお作りになり収録されました。

現在でも盛岡の伝統文化を残すいろいろな活動を地元でされています。

盛岡支所 高木健二

原田(盛岡)
盛岡市内のレコーディングスタジオにて                         原田和子さんとスタジオのオーナー

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                       普明会唱歌

(愛国行進曲に合わせて歌う)

1 見よ東海の夜(よ)は明けて、宇宙を照らす妙皇道(みょうおうどう)

神も仏も手をとりて萬(よろず)の霊(みたま)救ふなる

之れ八紘(あめつち)の平和道、天津心の御旗(みしるし)を

世界の絶(はて)まで打ち立てん

あ〃 我が主(みおや)普明尊

 

2 聞けキリストの御声(みこえ)をは、神に捧げて見よや友

墓場の死人復活(よみがえ)る妙なる教(のり)の誠こそ

之れ皇(すめらぎ)の民族道、天津心に添(そ)いてまし

萬象(ばんしょう)挙げて掌(て)を合わす

あ〃 我が主(みおや)普明尊

 

3 釈迦は覚れと教えたり、魂鎮めも言い遺す

萬象挙(こぞ)って神となる、妙なる道の示現(じげん)こそ

之れ日本(にっぽん)の使命なり、天津心を弥栄(いやさか)に

宇宙挙げて大平和

あ〃 我が主(みおや)普明尊

さざれ石公園(岐阜県揖斐郡・君が代 発祥の地)

平成25年7月30日 君が代(国歌)の歌詞として詠まれているさざれ石の発祥の地、
岐阜県揖斐郡さざれ石公園に行かせていただきました。

さざれ石とは「学名、石灰質角砕石と言われ石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)が次第に小石を凝結。だんだん巨巌となり河川の浸蝕により地表に露出し苔むしたものである」天然記念物とのことだそうです。

私は国歌の意味を意識して歌ったことはありませんでした。恐らく国歌の意味を理解して歌っている人はほとんど居られないと思います。私自身、学校や周囲の人から聞いたことがありませんでしたし、また自分から興味をもって知ろうともしませんでした。しかし、今年の五月、本部にて「国歌の中のさざれ石のいわれ」(著者田口英一 平成23年10月23日発行)という著書を読む機会がありました。そこには国家や、日本民族としての重大な意義があるのではと痛感し、その中に書いてある国歌の意味を参考にしていただけたらと思い、一部抜粋して以下掲載させていただきます。

君が代は」とは、天皇から見た国民の代(国民から見た天皇は、大君)すぐそばにいる人の一生を言う(自分のことは考えない)
千代に八千代に」とは、千年も万年も幸せが続くように
さざれ石の」とは、人の幸せを願う心を持った人たち(国民、民衆)がさざれ石のように集まって
巌となりて」とは、岩のように固まって行き
苔のむすまで」とは、固まった岩が苔に覆いつくされているように、みんな幸せで長く暮らせるように願っている歌であります。

とありました。世界一長い歴史がある我が国の歴代天皇陛下が、国民の幸せを願い、神武天皇以来、今日まで宮中祭祀をされてこられたことにつながることと思い、そのみ心が尊く感じられました。そのことを今日まで私は意識しなくとも、豊かで平和で安心できる日本に生まれ、生かさせていただいてきたことのありがたさを強く感じ、私もできないながらでもこのみ心に叶う自分になれればと自覚させていただきました。
さらに1912年、ニューヨークで世界の国歌コンクールがあり、君が代が特一等になり世界で評価されたそうです。(一等が英国で二等がフランス)

2013-07-30 13.56.59

揖斐郡に入りさざれ石公園に行くまでの道のり

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道路が山奥に入り、途中落石があり道路工事中。

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さざれ石公園の駐車場・奥の小屋はトイレ

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駐車場から公園に行く約200m程の登山道。急勾配な箇所あり

2013-07-30 14.32.55

登山道の手前にある「日本さざれ石の会」の説明石碑。

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さざれ石(天然記念物)の説明と献上の記録
公園にたどり着くと、大きなさざれ石が手前と奥に二つ点在しておりました。

2013-07-30 14.42.02

 さざれ石(手前側)

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さざれ石にお社が祭ってあり、しめ縄がはってありました。

2013-07-30 14.45.51

右下部にある白色の箱はお賽銭箱。

2013-07-30 14.46.40

国旗が掲げられていて、国歌を歌ってきました。

2013-07-30 14.32.07

ここから皇居や伊勢神宮などに献上され、一般にも販売されているようです。

高岡支部 小沢慎治