教祖 戸次貞雄[1897~1965]


【多千億の仏に仕えまつり ①】

戸次貞雄 説法録【音声付】(昭和36年3月6日)


下記の戸次貞雄の法話をお聞きください。

【 昭和36年3月6日 ご恩師法話 法の華と仏所護念 】
日本敬神崇祖自修団 先祖権現堂にて

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難解難入なんだよ、法華経とは。法の華を咲かせる上において、甚深微妙なくして、法の華は、咲かないんだ。だから拈華微笑(ねんげみしょう)【※注1】だなんていったってね、禅のやつらには、わからん。

どうだ、分かるだろうが、こう話してみると、拈華微笑とはね、花を咲かせるもとには、隠れた根があるんだ。隠れた根がなかったならば、花は咲かぬだろう。それが、甚深微妙だよ。

それをだ、形のあるところばかりに捉らわれておいて、根という、見えざる動きを知るやつがおらんから、永遠の花を咲かせることができない、ということだ。大事なことだよ、これは。拈華微笑とは……、あいわかったな。

実にそうだよ、皆、形の花に捉らわれておいて、その花を生かしている、根という、見えざる働きを知らないでいるんだ。

それが、いわゆる人間に引き換えて言うならばだ、根という、見えざる恵みに対する肥やしを、みずからする知恵と力を与えられておるんだから、その暮らしをするということは、目に見えざる、いわゆる先祖に肥やしをする、供養をするということだ。

そうすると、それは何か。結論するところ、聖者が残し、賢人が言い伝えたるがゆえに、先祖の菩提寺たる寺を大事にし、自分が、かねがね扱えないから、坊さんに代理をしてもらっておいて、墓を見まわってもらう。

また、その体を生むべく努力してくださったところの、その土地に生まれて、その土地を守るべき、氏神様にごやっかいになって生まれたんだから、これは天地という、いわゆる空の動きの、その仕事を取り継いでくれた氏神様なんだから、その氏神様にお参りをする。そのことによって、私の幸福があるんだ。目に見えざるところに、するのが私の義務だ。

仏所護念とは、如来を拝むことが、仏所護念ではないんだ。わかったかい。大事だぞ、 これは、仏所護念の説明は……。釈迦は、『生あるもの、ことごとく仏性あり』と言った。仏性がある、その仏性を護って念ずることだ。それが仏所護念だ。

だから、観音経にもあるとおり、
「多千億の仏に仕えまつりて、大清浄の願を起こして…」 ということは、大清浄ということはだ、万物と共に喜び合おう、という実行をすることだ。ほかにあるか!そして、観世音という、大神通力をもらったのだ。どうか!
忘れずに書いておけよ!忘れるぞ。


【※注1】 拈華微笑(ねんげみしょう)

釈迦が説法したとき、華(花)をひねってその意を示したところ、迦葉(かしょう)だけがその意を悟って微笑したので、仏教の真理を授けたという。

【多千億の仏に仕えまつり ②】

【昭和36年3月6日 ご恩師法話 多千億の仏に仕えまつり】
日本敬神崇祖自修団 先祖権現堂にて

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如来に仕え、釈迦牟尼仏というが、仏に仕えたと思ったら、間違いなのだ。お釈迦様のいうとおり、生あるもの、ことごとく仏性あり。仏性あり、ということは、性は、代え難いものである。性分というものは、ことごとく仏であるぞ!という意味なんだ。

その仏に仕えまつってきたんだ。それは、万象を仏として礼拝することだ。また、そのとおりである。私の体を造り、私を潤してくれる生活の、その全てが、ことごとく、天地の親神の心を心として、私を生活させてくれているところの、喜ばしめんとする、仏ではないか。それを礼拝するんだ………。
だから、「多千億の仏に仕えまつり」と書いてあるのが、観音経だ。ということになる。わかったかい。


万霊殿/正聖閣