平成28年2月6日、本部万霊殿稲荷社の司照憲(つかさしょうけん)稲荷大明神において初午祭(はつうまさい)が執り行われました。また、同月18日、各道場にて二の午祭(にのうまさい)が執り行われました。
【初午祭】 平成28年2月6日
【二の午祭】 平成28年2月18日

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平成28年2月6日、本部万霊殿稲荷社の司照憲(つかさしょうけん)稲荷大明神において初午祭(はつうまさい)が執り行われました。また、同月18日、各道場にて二の午祭(にのうまさい)が執り行われました。
【初午祭】 平成28年2月6日
【二の午祭】 平成28年2月18日
祖神祭とは昭和35年1月31日、初代会長鹿島俊郎の命日で、そのお祭りが毎年行われております。
前日の1月30日には教団職員による鹿島家墓地の参拝、前夜祭が執り行われました。また、当日は暖かい気候に恵まれ、全国から大勢の同信の方々が本部万霊殿にお集まりになり、祖神鹿島俊郎のご威徳を偲び、自らの使命達成を祈願して、午前10時よりお経供養が行われました。
その後、昨年12月に当教団職員を退任された現在東京支部の谷口一夫さん、松山支部責任者の佐々木継人の体験談発表があり、続いてご生前の鹿島俊郎のスナップ写真や動画を拝見しながら「陰の力(仏智は思議し難思)」(祖神法話集CDより)を拝聴しました。最後に会長鹿島孝夫の法話を拝聴し、参加者全員でご霊廟を参拝し祭事が終了いたしました。
下記のスライド動画①は、鹿島俊郎のご法話(約50分)を拝聴した際、参加者の方々にご覧いただいた映像から抜粋し、昭和25年から32年までの写真を年代順に短く編集したものです。次回、昭和33年から34年までのスライド動画②と福井支部同信が撮影した動画映像③をアップする予定ですので、ご期待下さい。
【 動 画 】下記の再生ボタンをクリック(タップ)してご覧下さい。


平成27年12月24日から28日にかけて、各道場責任者が本部万霊殿に集合し、年末の各行事が執り行なわれました。

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12月25日 万霊殿玄関飾り
12月25日~26日 しめ縄張り替え、鹿島家玄関飾り
12月25日~27日 門松、鏡餅などのお飾り作り
12月25日 神殿大掃除、しめ縄張り替え
12月26日 餅つき
12月27日 鹿島家墓地 合同墓地 ご霊廟参拝 12月28日 お焚き上げ
12月28日 餅上げ ※趣旨は鏡餅供進趣意書(かがみもちぐしんしゅいしょ)をご参考ください
以上、すばらしい青空の中、滞りなく各行事が終了ました。ありがとうございました。

しめ縄作りは、平成26年12月19日の水田造成のためのお祓いからはじまりました。その後、田植えなど職員による管理のもと順調に稲が生育し、8月、稲の刈り取りが行われました。そして、9月末よりの近隣支部による稲のはかま取り、わら打ちのご奉仕がありました。
10月18日、19日、横浜支部にて照憲社(本部稲荷社)のしめ縄を作り、11月28日、29日、本部にて近隣支部の同信が参加し、本部神殿や各社のしめ縄を作らせていただきました。
昨年(平成26年)までは12月26日より各道場の責任者によって作られてきた本部神殿、照憲社のしめ縄ですが、今年は初めて同信の方々によって作らせていただきました。参加した同信の方々は、しめ縄の大きさに驚きと戸惑いがありましたが、参加者一同、力を合わせてしめ縄を完成させることができました。また、このわらはしめ縄以外にも、玄関飾り、門松等にも使用されました。

11月28日 本部にて近隣支部 よる、しめ縄ご奉仕
11月29日 司照憲稲荷大明神のしめ縄取り付け。 風雨にさらされ傷みが激しいため、本年より予備として2本作りました。
12月25日 本部神殿のしめ縄張り替え。
当教団の創立記念祭は、戸次貞雄(普明堂主)の教えを奉じる会として、鹿島俊郎に『普明会』の会名が、国常立之命の神示により授かった昭和24年11月3日を創立記念日としています。今年で第66回目の創立記念祭が執り行われました。
全国から多くの同信が万霊殿に集まり、午前10時よりお経供養が行われました。その後、米沢支所の梶野孝一、名古屋支部の高桒一也の体験談発表、最後に会長の法話を拝聴しました。
初代会長鹿島俊郎や創立に関わった物故者の方々をはじめ、各道場を支えられた物故者のご苦労をしのび、使命達成を祈願いたしました。
全国から大勢の同信の方々がお集まりになり、第64回本部万霊殿の大祭が執り行われました。前夜祭当日9月16日、各支部旗が神前にお供えになり、午後3時よりお経が始まりました。その後、白髭神社へ本部旗の御旗渡御(みはたとぎょ)が行われ、同日午後7時より同信の方々の体験談発表がありました。翌午前0時より、万象万霊のための鎮魂帰神祭と護摩焚きが厳粛に執り行われました。午前11時からの大祭のお経後、各道場責任者の体験談発表、そして最後に会長の法話を拝聴し盛大に大祭が行われました。
【動画】上記の画像をクリック(タップ)すると動画が再生されます。
15日午前 お供えする鏡餅の餅つき
16日午前 会長ならびに各道場の責任者にて、冨士霊園にある教団物故者の合同祭祀墓と初代会長 鹿島俊郎を祀る鹿島家墓地を参拝、そして、ご霊廟参拝として天地大権現尊・教祖戸次貞雄に大祭の祈願が行われました。
16日午後3時 お経の後、猿田彦之大神を先頭に会長ならびに各道場の責任者、各支部御旗奉持者による御旗渡御が白髭神社(教団本部の氏神社)にて行われました。
16日午後7時 同信の方々による体験談発表
17日午前0時 鎮魂帰神祭
護摩焚き
17日午前11時 大祭
午前11時よりお経が始まり、その後、各道場責任者の体験談発表がありました。続いて会長の法話があり、最後に国歌と団歌を奉唱し第64回本部万霊殿大祭が終了いたしました。
平成27年の第4回目(8月1日)のお滝修行で講演された、紙芝居を元に動画編集したものです。
下記は、平成21年9月17日発行の普明会報に掲載されたものです。
昭和51年10月1日発行
普明会報 第123号
二代会長法話より抜粋
幕(幕川金神滝)のお滝修行は各自の先祖の業障懺悔だったのですが、ここ(万霊殿)のお滝はどうもそうではないらしいのです。先祖ではなく神様の修行なのでした。
皆さんと一緒にその土地の神々、氏神様が集まられて修行されるのだそうです。その後大祭でお祓いを受けられ、今度は出雲大社で御位をいただかれるという順序なのだそうです。そのはじまりがお滝修行なのだと教えられました。
お滝修行お滝修行と申しますが、そこにあるのはプールです。プールに張られたただけの水としか私たちには見えませんから、草刈りをしてプールに入って、盆踊りをして帰るだけだ、というふうに思うようになったのではないかと思います。
ところがこの水は、正真正銘の滝の水なのです。地下に滝があるのです。万霊殿を建てるに当たりまして、一番最初に井戸を掘りました。水が出るか出ないかが問題でした。昼夜、掘削機械が回り続けて、70メートルで水が出ました。岩盤を何層も堀り抜いて水を見た時には、本当にみんなで喜びました。ところが安心して一晩、機械を止めておいたら、掘削した土砂が固まって穴が塞がってしまったのです。それからが大変でした。結局とうとう機械を捨てて、新しく掘ることになりました。
これだけの工事のできる新しい機械は、おいそれと手に入るものではないそうで、ずいぶん苦労があったようですが、二ヶ月ほどして再び作業が始まりました。
少し離れた所を掘り始めましたが、70メートルでもだめ、100メートルでもだめ、120メートルでもだめ、そしていよいよ水脈に当たったところが200メートル下がったところでした。最初の所から少し離れた所なのに、70メートルから200メートルまで水みちがなかったのです。
しかし、その水量の豊富なことは、「どんな干ばつがあっても涸れません」と保証されました。また、まったく癖のない水で、富士山に降った雨水がこの水脈に入るには200年かかり、これは200年前の水だとも言われました。一つ一つびっくりする話で、土の中ってわからないのね、と言っておりました。
その掘削中に、円柱形の長さ2メートルほどの岩盤が、壊れないで出ました。岩盤に次ぐ岩盤なのですが、なかなか大きいままでは掘りきれないわけです。それでその石柱を水口(1号井戸)に立てることにしました。水神様のしるしを刻ませていただこうと思い神様のお名前を伺いましたところ、「天の瀧水神」と教えられました。その時の霊感では、天界にお滝が現れたそうです。
「天の瀧水神」と口にいたしまして、初めて気がついたわけです。少し離れた所に、70メートルから200メートルまでの落差があるわけです。そうすると滝なのです。地下の滝なのです。表には見えない、霊界の瀧でした。
その水がプールに入ってくるわけです。幕のお滝では、しぶきだけで精一杯の人も、このお滝には入れます。落差130メートルものあるお滝の水を、しかも、200年前の水をいただいていたわけです。万霊殿の滝修行として四年目を迎えまして、今回、天界の滝である神々の修行場であることを、わからせていただきました。