御霊鎮め祭りの大本山 (万霊殿 / 正聖閣普明堂) 【戸次貞雄 音声付】
戸次貞雄ご恩師の依頼により当教団は『万象万霊を御霊鎮め祭りする大本山』として、昭和48年、富士市大淵に万霊殿を建立致しました。また別名正聖閣、普明堂ともいい、普明堂主という戸次貞雄の血脈相承(教えの相承)という役目を意味する場所とも言えるでしょう。現在、万霊殿を教団本部としております。
下記の戸次貞雄の法話をご参考ください。また、当時の音声も再生できます。
※写真は昭和35年5月9日、二代会長宅にて撮影されたものです。
写真上部中央…戸次貞雄、左隣…二代会長(鹿島愛子)
昭和36年8月15日 22:30~25:21二代会長宅 ご恩師のご説法
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ご恩師 「正にね、いずれにしたところでだ、普明堂正聖閣というものは、作らなくちゃならんのだから。これは出来るはずだ。そうすると、普明会が結局、普明堂主を掌握、正聖閣を守るべき根本になるんだ」
小川 「熊本でございますね」
ご恩師 「いや、どこへだか分からない。どこへ出来るか、それはまだ示されていない。しかし、恐らくね、どこかへは出来るだろと、私は考えているよ。まあ、梅津文弥というのが見たのにはね、こういう欅(けやき)の柱でね。それがその建ってたんだというんだなあ。これは、将来の正聖閣であるぞ、と言われたんだ」
二代会長 「はい。新倉さんが見ているのよ。凄いんですって。素晴らしい。それだから新倉さんも信じきっちゃっているのよあの人。将来の普明会というものを」
ご恩師 「それはまだ、どこなのか分からない。それは、富士ケ嶺かもしれん。あれだけ広漠(こうばく)たるところだから、それはまだ、知らせを受けない以上、私はね」
小川 「やっぱ中心でしょうな日本の」
ご恩師 「どんな知らせを受けたって実現しない間は私は信じないのだから。ああ、絶対に。これは、私が言わんとさ、正聖閣普明堂主の印というのはある。あの通り、出来ることを信じているから。中を見てごらんなさい。あの打ち出の小槌。それは信じているよ。信じているけれども、出来ない間は人に話さないのは、それが私の強さだ。神が言ったのだから、これは言って良さそうなものだけれど、そうはゆかない・・・。」
昭和37年1月31日祖神2年祭 御恩師法話 普明会本部にて
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それから、ここの会長のこの役目として、富士のみもとに、日本の中心となるべき御霊鎮め祭り。いわゆる万象を御霊鎮め祭りする。その御霊鎮め祭りの大本山を作らなければならぬ約束があります。
それが出来てこそ、初めて日蓮が言う『富士の嶺こそ、富士こそ、世界の大霊場である、霊山である』という意義が生まれ出るのであります。
東北においては、私が開いております一切経において。九州に於いては阿蘇山において。その中央においてやるべき使命のあるのが、この普明会であります。
会長のみの責任ではない。皆さんも共にその責任者として、神の御子として生まれられたのでありますから、ますます協力されて、万象と共に悦び合えるその器『御霊鎮め祭りの大本山』を、やがて作るべき大運動をする、私としての覚悟のもとに普明会の会員として、なお一層の努力をせられんことを希望して、今日の話を終わりといたします・・・。