普明会教団では、小寒(1月6日)から節分まで一年間で最も寒いとされる時期に寒修行を行っております。
同信各自が、白衣姿で地元や縁のある地域を托鉢行脚することで寒修行としています。一軒一軒の玄関先で般若心経を上げさせていただき、お心ある方からはお布施をいただきます。また、その縁により、お教えを伝えるためのパンフレットをお渡ししたり、総戒名というお札をおまつりしています。
わたしたちは「祖先礼拝の道」をお伝えするために托鉢をさせていただいております。
托鉢行脚の様子
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普明会教団では、小寒(1月6日)から節分まで一年間で最も寒いとされる時期に寒修行を行っております。
同信各自が、白衣姿で地元や縁のある地域を托鉢行脚することで寒修行としています。一軒一軒の玄関先で般若心経を上げさせていただき、お心ある方からはお布施をいただきます。また、その縁により、お教えを伝えるためのパンフレットをお渡ししたり、総戒名というお札をおまつりしています。
わたしたちは「祖先礼拝の道」をお伝えするために托鉢をさせていただいております。
托鉢行脚の様子
平成25年12月30日午前8:30より氏神社、本部万霊殿の餅上げが行われました。
氏神(白髭神社)の一重1斗鏡餅(上4升、下6升)
猿田彦様を先頭に氏神様に御旗渡御、餅上げ
白髭神社境内
氏神社 餅上げ
皇礼典法華妙皇道実証経を奉唱しました。
本部万霊殿、一重5斗(上2斗、下3斗)鏡餅
氏神社に引き続き、本部万霊殿の餅上げ
ご挨拶
戸次貞雄ご恩師(普明堂主)の餅上げの趣旨は以下の趣意書を参考にしてください。
昭和9年度一重4斗5升鏡餅供進趣意書
日本国民として生をこの土に受けたる輩、必ず行わねばならぬ敬天崇祖の事業、その根本となるべき報恩と祈願を兼ねし献餅供進の儀を修し、もって神国民として世界に示すべき道を明らかに、しこうして国難打開一家幸福の冥助を仰がむとす(日本国中において、いまだかつてかくのごとき企てなし。当地において企てたるをもって嚆矢とす。物事は一番乗りこそ最も好ましきことである。率先、これを賛ぜられよ)。
それ重餅は古来より鏡餅として称し、戸毎に一月元旦を寿ぎ祝う唯一の供進物とせり。これが所以は重餅の表象のよく重厚にして荘厳、上餅また特に高厚を示し、下餅に臨むに小をもってし、慈悲仁譲志意和雅の徳を現す。下餅またよく上餅を支え保ち、その力を現ずるに遠大。上下相和して不動身を示し、天地昭和の円満理想を具現す。内証また布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧を含みて、一切衆生の帰向すべき道、大和魂の精根に合す。ゆえにこれを心の鏡となし、一年の計は元旦にあり。その元旦に、我本年の行事重餅のごとからむと誓請し、小にしては自己一家、大にしては一郷一国の向上と円満とを祈念し、かつまた旧年中のご加護を鳴謝すべく、神仏の御前にこれを供え、報恩と行願の証しとはなすなり。ゆえに重餅を称して鏡餅と唱う。
ここに祖先礼拝を要諦とし、大日本皇道を妙皇道と唱え奉り、全世界帰向の大教示として奉賛の項に当たる明法会、謹んで鎮守氏之神尊礼讃会を組織し、もって敬天の事業を興し、深く崇祖の実を揚げ、国家多事多難の大危災を除劫せむことを計る。祖先は我等が根幹にして運命所生の素なり。崇祖の実は根幹盛大の肥料にして、良運出生の種なり。祖先安ずれば家栄え、祖先安ずるところなくば一家衰う。鎮守氏之神尊は、我らが所在の地を安ぜしめ栄えしめんと鎮まりまします地の祖先の代表にておわし、一郷一村の日の守り夜の護りとならせたもう大恩者なり。鳴謝祈念せずして何ぞ(神の世を示し申さで人の苦を誰か救わむ弥術もなし)
近時ようやく信仰心抬頭し、その流行を示さんと欲するは思想国難を叫ばる今日、真に欣快に絶えずというも悲しいかな、請願のみありて報恩の念慮届かざる空念仏、労して甲斐なき信仰たるを免れず。ゆえにその報恩と請願祈念とを兼ね、昭和九年一月元旦鏡餅供進の儀を興せり。県社稲荷神社の分は地元たる福島市中に会員を求め、大神宮に献餅の儀は一般的にこれを求むといえども、その員数の如何により経費の関係上取止めの余儀なきにいたらむやもはかられず。願わくば大方諸賢、かかることなきよう日本最初のくわだてをして頓座せしめず、御賛同礼讃の実を示され過去一か年の報恩と新たなる本年の幸福誓願祈念のために奮つて敬天の事業の微意に参加せられむことを。
昭和八年 主唱 普明堂主
奉讃 明法会
主催 鎭守氏之神尊礼讃会
(昭和27年1月1日発行RGD報より)
昭和25年12月30日 福島市県社稲荷神社
普明堂主 戸次貞雄ご恩師 (写真中央上)
初代会長 鹿島俊郎 (向かって鏡餅の左)
平成25年7月30日 君が代(国歌)の歌詞として詠まれているさざれ石の発祥の地、
岐阜県揖斐郡さざれ石公園に行かせていただきました。
さざれ石とは「学名、石灰質角砕石と言われ石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)が次第に小石を凝結。だんだん巨巌となり河川の浸蝕により地表に露出し苔むしたものである」天然記念物とのことだそうです。
私は国歌の意味を意識して歌ったことはありませんでした。恐らく国歌の意味を理解して歌っている人はほとんど居られないと思います。私自身、学校や周囲の人から聞いたことがありませんでしたし、また自分から興味をもって知ろうともしませんでした。しかし、今年の五月、本部にて「国歌の中のさざれ石のいわれ」(著者田口英一 平成23年10月23日発行)という著書を読む機会がありました。そこには国家や、日本民族としての重大な意義があるのではと痛感し、その中に書いてある国歌の意味を参考にしていただけたらと思い、一部抜粋して以下掲載させていただきます。
「君が代は」とは、天皇から見た国民の代(国民から見た天皇は、大君)すぐそばにいる人の一生を言う(自分のことは考えない)
「千代に八千代に」とは、千年も万年も幸せが続くように
「さざれ石の」とは、人の幸せを願う心を持った人たち(国民、民衆)がさざれ石のように集まって
「巌となりて」とは、岩のように固まって行き
「苔のむすまで」とは、固まった岩が苔に覆いつくされているように、みんな幸せで長く暮らせるように願っている歌であります。
とありました。世界一長い歴史がある我が国の歴代天皇陛下が、国民の幸せを願い、神武天皇以来、今日まで宮中祭祀をされてこられたことにつながることと思い、そのみ心が尊く感じられました。そのことを今日まで私は意識しなくとも、豊かで平和で安心できる日本に生まれ、生かさせていただいてきたことのありがたさを強く感じ、私もできないながらでもこのみ心に叶う自分になれればと自覚させていただきました。
さらに1912年、ニューヨークで世界の国歌コンクールがあり、君が代が特一等になり世界で評価されたそうです。(一等が英国で二等がフランス)
揖斐郡に入りさざれ石公園に行くまでの道のり
道路が山奥に入り、途中落石があり道路工事中。
さざれ石公園の駐車場・奥の小屋はトイレ
駐車場から公園に行く約200m程の登山道。急勾配な箇所あり
登山道の手前にある「日本さざれ石の会」の説明石碑。
さざれ石(天然記念物)の説明と献上の記録
公園にたどり着くと、大きなさざれ石が手前と奥に二つ点在しておりました。
さざれ石(手前側)
さざれ石にお社が祭ってあり、しめ縄がはってありました。
右下部にある白色の箱はお賽銭箱。
国旗が掲げられていて、国歌を歌ってきました。
ここから皇居や伊勢神宮などに献上され、一般にも販売されているようです。
高岡支部 小沢慎治
昨年(H23)7月に着工した、本部本殿(万霊殿)屋根葺き替え工事並びに太陽光発電設置工事が昨年12月5日に完成し、平成24年1月5日にお祓いが執り行われました。
本部本殿(万霊殿)
屋根のお祓い
神前でのお祓い(塩祓い)
~これより平成23年9月下旬よりの状況~ 本殿屋根の南西面(照憲社側)に太陽光パネル設置
ステンレス貼り付け後の点検
太陽光で発電した電力を、付属棟の電気室まで引き込むための配線装置設置(屋根の北西面)
電気室へ配線を通すための配管工事(付属棟回廊)
太陽光の発電量を示すモニターからそれぞれの機器の動きをみている(本部講堂)
屋根にメンテナンス用の足場を取り付ける{屋根の南東面(富士山側)}
詳しくは、普明会報 第6号 を参照下さい。