平成29年2月12日、司照憲(つかさしょうけん)稲荷大明神(本部万霊殿稲荷社)において初午祭(はつうまさい)が執り行われました。また、同月24日、各道場にて二の午祭(にのうまさい)が執り行われました。
【初午祭】
2月12日 晴天の中、本部近隣道場の同信が集まり盛大に執り行われました。
【二の午祭】
2月24日 各道場の稲荷社において二の午祭が執り行われました。
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平成29年2月12日、司照憲(つかさしょうけん)稲荷大明神(本部万霊殿稲荷社)において初午祭(はつうまさい)が執り行われました。また、同月24日、各道場にて二の午祭(にのうまさい)が執り行われました。
【初午祭】
2月12日 晴天の中、本部近隣道場の同信が集まり盛大に執り行われました。
【二の午祭】
2月24日 各道場の稲荷社において二の午祭が執り行われました。
祖神祭とは昭和35年1月31日、初代会長鹿島俊郎の命日で、そのお祭りが毎年行われております。
前日の1月30日には教団職員による鹿島家墓地の参拝、前夜祭が執り行われました。また、当日はすばらしい晴天に恵まれ、全国から大勢の同信の方々が本部万霊殿にお集まりになり、祖神鹿島俊郎のご威徳をしのび、自らの使命達成を祈願して、午前10時よりお経供養が行われました。
その後、高岡支部同信の松本純子さん、名古屋支部責任者の高桒一也の体験談発表があり、続いて祖神祭の念願で会長が九州の地を訪ねた際の動画(ご恩師のゆかりの地を訪ねて~九州編~ダイジェスト版)を拝見し。最後に鹿島孝夫会長の法話を拝聴し、参加者全員でご霊廟を参拝し祭事が終了いたしました。
※ 祖神祭の際、参加者の方々にご覧いただいた動画(ご恩師のゆかりの地を訪ねて~九州編~ダイジェスト版)の完全版は、有料会員制ウェブサイトにアップする予定ですので、ご期待ください。
平成28年12月24日から28日にかけて、各道場責任者が本部万霊殿に集合し、年末の各行事が執り行なわれました。
12月24日 18:00 キリスト降誕祭
12月26日 0:00 大祓い
12月26日 7:30 餅つき
12月27日 冨士霊園、ご霊廟参拝
12月28日 9:00 お焚き上げ
13:00 餅上げ
平成28年12月 餅つき~餅上げの様子(動画)
餅上げ ※趣旨は鏡餅供進趣意書(かがみもちぐしんしゅいしょ)をご参考ください。
平成28年12月 年末の各行事の様子
(冨士霊園参拝時は、大雨のため撮影できませんでした。)
当教団の創立記念祭は、戸次貞雄(普明堂主)の教えを奉じる会として、鹿島俊郎に『普明会』の会名が、国常立之命の神示により授かった昭和24年11月3日を創立記念日としています。今年で第67回目の創立記念祭が執り行われました。
全国から多くの同信が万霊殿に集まり、午前10時よりお経供養が行われました。その後、盛岡支所の高木健二、松山支部の佐々木継人の体験談発表、最後に会長の法話を拝聴しました。
初代会長鹿島俊郎や創立に関わった物故者の方々をはじめ、各道場を支えられた物故者のご苦労をしのび、使命達成を祈願いたしました。
平成28年9月16、17日、全国から大勢の同信の方々がお集まりになり、第65回本部万霊殿の大祭が執り行われました。
16日午後3時よりお経が始まりその後、白髭神社への本部旗の御旗渡御(みはたとぎょ)が行われました。午後7時より各道場責任者の体験談発表があり、翌17日午前0時より鎮魂帰神祭、護摩焚きが厳粛に執り行われました。
17日午前11時よりお経供養が行われ、続いて同信の体験談、会長の法話を拝聴し、最後に全員で国歌、団歌を奉唱いたしました。
8月18日大祭祈願として橿原神宮、石上神宮の参拝、伊勢の神宮(外宮、月夜見宮、伊雑宮)、そして猿田彦神社の参拝が行われました。また、8月19日午前0時より内宮(伊勢)の参拝が行われました。
9月15日午前大祭にお供えになる鏡餅の餅つきの様子。
9月16日午前会長ならびに各道場の責任者による教団物故者の合同祭祀墓、鹿島家墓地の参拝、そして、ご霊廟参拝が行われました。
9月16日午後3時お経の後、猿田彦之大神を先頭に会長ならびに各道場の責任者、各支部御旗奉持者により白髭神社(教団本部の氏神社)へ御旗渡御が行われました。
9月16日午後7時各支部支所責任者による体験談発表。
9月17日午前0時 鎮魂帰神祭 護摩焚き
9月17日午前11時 大祭のお経同信の方々による体験談発表、会長の法話。
今年は安定したお天気に恵まれ、滞りなく第65回本部万霊殿大祭が終了いたしました。ありがとうございました。
万霊殿大祭を迎えるにあたって、最初の行事であるお滝修行が、平成28年7月16日より7月30日まで、4回にわたり万霊殿にて行われました。
お滝修行にて使用されるプールの水は、昭和48年、万霊殿建設の際、井戸を掘ったところ地下200メートルにある滝壺(落差130メートルとされる)に当たり、その水を汲み上げたもので約200年前に降った雨水といわれています。この水のご神名は「天の瀧水神尊」(あまのだきすいじんそん)といい、万霊殿にお祭りされています。
お滝修行後
平成28年7月8日
教祖、戸次貞雄のご命日で、今年で51回の天地大権現尊祭が執り行われました。
前日の7日より、本部職員、各道場の責任者全員が集い、万霊殿敷地内のご霊廟を参拝し、午後8時より万霊殿にて前夜祭が執り行われました。
天地大権現尊祭当日には本部近隣道場の同信の方々がお集まりになり、午前10時より鹿島孝夫会長の先達で祭事が始まりました。教祖戸次貞雄の徳をしのび、みずからの使命達成を祈願し、午後5時45分までお経供養が行われました。
これまで本部職員、各道場責任者によって行われてきた祭事でしたが、昨年の50年祭を節目に近隣道場の同信が参加されるようになりました。今年は教祖戸次貞雄の写真や動画のスライドショー(約18分)が上映されました。また、祭事のお供物等は同信の方々で作られ、各道場こだわりのお膳が出来上がり、それぞれご神前にお供えになりました。参加された方々の真心こもった祭事になりました。
※上記スライドショーの本編(約18分)はメール会員登録者に公開中 【s33.4 福井支部 永平寺にて】 1:30~2:04動画提供者 吉中義一さん
昨年より本部において、万霊殿しめ縄として使用されるわらの稲作が行われるようになりました。今年は5月22日、28日、会長ならびに本部職員、名古屋、東京支部の同信により、その田植えが執り行われました。
【名古屋支部より】 5月22日、名古屋支部同信にて本部の田植えのご奉仕をさせていただきました。ほとんどの同信が田植え初体験で、とまどいもありましたが、本部職員の方や経験者からのアドバイスでなんとか無事に植えることができました。みんなで植えた苗が万霊殿のしめ縄になると思うと感慨深いものがありました。ありがとうございました。 名古屋支部一同
【東京支部より】 5月28日本部ご奉仕におきまして、田植えのご奉仕をさせていただきました。泥だらけになりながら植えましたが、この苗が太陽の陽を浴び、大地の恵みで育っていくことを想像したとき、万象の恵みに生かされていることに、改めて実感できるご奉仕でした。日々、万象の代表の一つとして神殿にお供えしているお米も、今まで以上にありがたくいただきたいと思いました。貴重な体験をさせていただき、東京支部一同、御礼申し上げます。
この紙芝居の動画は将来を担う子供たちに食するという日々の生活を通じて、天地のお恵みを感じてもらい、万物万象、たくさんの生命や人々の支えによって生かされていることを考えていただければと思い、制作されたものです。教義的に説明するには不完全なものですが、少しでも日々の生活のありがたさや信仰することに興味をもってもらえれば幸いです。以下の文章をご参考ください。
平成24年7月8日 当教団発行 『戸次貞雄著述 妙皇道報 』 より抜粋
【運を良くするお話】その6 畜類や虫類の供養
たびたびこれまで、お話いたしておりますように、仏様の眼から見ますと、畜生も虫類も、皆わが子だと申されています。それは決して口先や方便ではありません。
畜類でも鳥類でも虫類でも、ほとんどが人間に縁があるように仕向けられています。中にはずいぶん縁遠いのもありますが、それからそれへと、縁がつながれております。殺したり、殺されたり、食われたり、食ったり。
どうしてこんな悪縁でつながっているかと申しますと、人間であればお互いに救い合う、その知恵を持たせてありますから、自分の考えで、人のためや村のためというような、善い行いをして善根を植え、仏様や神様のご加護を受けて、安らかになれるようになっていますが、ほかの動物にはそんな知恵を持たせてありません。それで、自分から進んで善根を植えることはありませぬ。したがって、よい所に生まれることもならずに、いつまでもいつまでも、もとの姿に生まれておらねばなりません。
自分が重ねてきた罪でそうなったのですから、それでもよいのでしょうが、もともと人間をはじめ、わがままで固まっていますから、悪いことをするのが多くて、ついには人間に生まれてくる善根者がなくなって、それこそこの世は虫けらの世界になりましょう。それではせっかく、この世をみんなで楽しもうとお計らいくださった、仏のご慈悲も神様のお仕組みも、むだになります。
悪事はそれを悪報となしても、その悪の報いから一刻も早くのがれさせようという、そのおぼし召しから、殺したり殺されたり、食ったり食われたりするようにして、縁を作ってあります。食われれば食ったものの腹肥やしの善根となり、殺されれば自分の罪を殺したものが持っていく。
例えばハエになり下がるには、それこそ犯した罪は量り難い。食う殺すなどを日常行事として畜類魚類等に生まれ、転々して、ハエと生まれる。その転々のうちにどれほど食う、食われる、殺す、殺されるして、悪縁がそれからそれへとつながっているか量り知れぬ。
そのハエがうるさい、ポン、人間が殺す。と、そのハエに関連した悪縁とともに殺した人間が背負う。その人が信仰家であれば、その力でだんだんとハエもよい所に生まれていく。またハエの縁作りしたものたちも、次第に救われるようになる。こうしてお互いが救い合って、お互いに苦しみから抜けるように、仕組んであります。
人間と生まれたら、どうしてもそれらを助けねば、自分たちの安心はできぬようになっています。そのために他動物に比べて、比べものにならぬ知恵と特権を持たせてあるのです。こんな訳合いのもとに世の中を作ってあるのですから、『俺は正直だ、何一つ罪作りのまねはせぬ。神様におわびするような悪いことは、ねぇや』などと言っても、お前さんばかしの世の中ではないから、そんなことばは通用しない。国王であろうと、その受くべき因縁の仕組みは受けねばならぬ。どんな者でも生まれ出たかぎり、きっと悪因縁の罪を背負うようにできておる。
その悪縁を良縁に移すのが目的であるから、その仕組みがされているのです。毒薬変じて薬となる、それのごとく悪縁を良縁となす方法、それが仏法の肝心です。『哀れなものだ。仏様におすがりして、よい所に生まれろよ』その心で、またそれらに結び付かねばならぬ罪の身を、心からわびねばならぬ。
その真心のしるしが朝夕の読経であり、念願のしるしが戒名となるのです。と、先にも申しましたように、どんな縁が作られているか、それらは凡夫ではわからぬ。それは、わからぬなりに供養をさせてくださる。総戒名で我慢してもらう。その総戒名は、だいたい人間以外を四つに分けて作ります・・・。